しっかりと向き合う

パワーを得るのに、神社や山などエネルギーの高いところやパワーのある人に会いに行くと思うが、行っただけでは十分に得られない。

十分にパワーを得るには、その人や山、神社としっかりと向き合うことだ。

行ってもぼーっとしていたり考え事をしていたら、ほとんど意味が無い。

例えば神社。

参拝者も少なくて社務所もないような小さくて古びた神社があるとしよう。

しっかり向き合わないと見た目だけに捉われ、ただの古びた神社としか感じ取れない。

人がたくさん来て大きい神社は素晴らしくて、町の古びた神社は大したことがないという風に捉えるだろう。

だけど、しっかりと向き合うと、そこに神社があるということに意識が向く。

大きい小さいとか、人が来る来ないなどに振り回されず、ありのままのエネルギーを実感できる。

向き合うか向き合わないかで、大きな違いが生まれる。

何を気にしているのか

人は興味のあるものを気にする。

そして、見たいものしか見ない。

自分がいつも何を気にしていて、何を見ているのか。

例えば、「汚れ」を気にしているなら、汚れを気にする人生を送ることになる。

「心」を気にするなら、心を気にする人生になる。

お金ならお金、食欲なら食欲を気にして生きる。

自分が何を気にして生きているのか、注意深く観察する必要がある。

どんな人生を送るかはそれで決まる。

本当のカン

本当のカンはハズレない。

本当のカンは当たった、ハズレたというようなものではないからだ。

天、霊などとの直結のカンは、当たったハズレたで判断できるようなものはこない。

例えば、瞑想中に今まで見たこともないようなまばゆい光を見たとしよう。

これに関して、当たったハズレたと言えるだろうか。

直結のカンはこういうものだ。

二つの道

人には、いつでも二つの道があり、そのうちの一つを選んで歩んでいく。

やるか、やらないか。

忙しく生きるか、ゆったり生きるか。

今を生きるか、過去や未来を生きるか。

どの道を選ぶかは自分だ。

常に選択していることを忘れないこと。

余計なことにとらわれず、シンプルでいい。

焦らずに 慌てずに 丁寧に ゆっくりと

スピリチュアルにおいて、「焦らず、慌てず、丁寧に、ゆっくりと」は、本当に大事なこと。

早く霊能力を出したい、早く瞑想が深くできるようになりたい。

誰もが思うことかもしれないが、それで早く進むことはない。

霊感でも瞑想でも、焦らずに、慌てずに、丁寧に、ゆっくりとやっていくこと。

合理的もへったくれもない。

ただ、コツコツとやるだけだ。

焦っている覚者がいるのか。

慌てている指導霊がいるのか。

雑で急いでいる達人がいるのか。

自分がどんな人物になりたいのか、しっかりと意識していただきたい。

水急不月流

水急不月流はみずきゅうにしてつきをながさずと読む。

禅の言葉だ。

いかに水の流れが急であっても、水面に映る月影をながすことはできない、という意味。

水の流れは世間でおきていること。

月影は己の心を表している。

いくら周りで波風が立とうと、本来の自己は不動であることを言っている。

まずは受け入れる

自分の身に起こったことは起きたことなので、まずは受け入れるようにしている。

良い事、悪い事など判断するとありのまま受け入れることができないので、それはできる限り排除する。

必要があれば、受け入れた後になぜそれが起きたのかを考える。

自分の身に起きたことは、すべて自分が関わって起きている。

それは真理で、それならば、まずは丸ごと受け入れてみることにした。

そうしたら、自分のことなので自分でどうにでもできることがわかり、すべてが腑に落ちた。

恐怖心や不安がある人は、消せることができるだろう。

やることはシンプルだ。

ただ、目の前で起きていることを、そのまま受け入れるだけだ。

平常心

大変なときに平常心。

大変じゃないときも平常心。

暇なときも平常心。

退屈なときも平常心。

できることをやる

まず、できることをやること。

そして、できないことはやらないこと、あきらめること。

これがすごく大事で、わかっているのとわかっていないのとでは、人生の質が大きく変わる。

多くの人ができないことにエネルギーを注ぎ、できることを後回しにする。

簡単なようでなかなかできないかもしれないが、そういうことがあるのだと知っておくことが重要。

自分の行動をしっかり観察してほしい。