サイレントリトリートを経験して感じたこと

過去に3回サイレントリトリートをやっている。

最長9日間、やってみたことがある。

サイレントリトリートを経験して、制限があればあるほど自由を感じたことには驚いた。

声を出してはいけない、人がいる場合は人と目を合わせてはいけない、ネット、お風呂、動物性の食事はNGなど様々な制約がある。

できることは限られる。

息をすること、座ること、食べること、休むこと、寝ることのみ。

最初のうちはいろいろ考えるが、考えても何もできないのでやがて考えなくなる。

生きることがシンプルになり、心が軽くなることで自由を感じる。

このことは、普段の生活もサイレントリトリートもはあまり変わらないことにも気づいた。

結局、本質は一つだった。

気を抜かない

気を入れるということはわからなくても、気を抜くことは体感としてわかるのではないだろうか。

気を抜いたら何も起きない。

何も起きないということは何も得るものは無いということだ。

ただただ時間だけが過ぎていくだけになる。

力む必要は無い。

ただ気を抜かないように注意深く生きることが大事だ。

自分の思った通りに生きるだけと小さな世界を生きることになる

若いころ、自分の好きに生きる、思った通りに生きるという人生を歩んでいた。

そのときは何もわからなかったので、それが正しく、良いと思っていたが、実際はとても狭い世界を生きていた。

好きなものしか食べないというと栄養が偏るというようなことが起きるのと同じで、好き勝手、思い通りだけで生きていたら偏っていた。

なんて小さな人生を生きていたんだと気づきを得た。

過去にとらわれず、自由に生きるとはどういうことかわかったときに、ようやく人生が始まった。

いつでも変えられる

自分を変える必要があるかないかはさておき、変えようと思えば、いつでも変えらる。

いつでも。

その意識を強く持てれば、いつでも実行可能。

それができないとしたら、甘えか余計なことをしているかのどちらかの可能性が高い。

もっと真剣に生きてみたらどうだろう。

なぜ

私は、「なぜ」と自分に問いかけるようにしている。

なぜ、そうしたのか。

なぜ、そう思ったのか。

なぜ行をするのか。

なぜスピリチュアルを深めるのか。

答えが見つからない探求だが、必要だと感じる。

鼓動を感じる

これは私の感じていることで、他の人がどう感じるかはわからないけど、鼓動を感じているとその奥に深い愛を感じる。

そして、呼吸に意識を向けていると、えも言われぬ温かい感覚が湧いてくる。

生命、呼吸は欲を凌駕する。

何を意識するか

何を意識するか。

それで人生が決まるし、変わる。

自分が何を意識しているのかを注意深く観察する。

運命はとてもシンプルだ。

上辺のやりとりはどこにも響かない

表面だけのコミュニケーションほど、つまらないものはない。

よく「何が原因かわからないけど寂しい」というようなことを聞くことがあるが、それは表面で生きているから。

心を使わず頭ばかり使っているから、そういうサインが表れる。

心が無ければ人間じゃない。

人として生きたければ、忘れられようとしている心を、もっと込めて生きるべきだ。

願望や欲望を満たすことが人生を幸せなものにするのではない

願望や欲望が満たされることはない。

一時、満たされたとしても、また次々と欲望が湧いてきてキリがない。

そうやって願望や欲望を満たそうとするだけで、人生は終わってしまうことにあるとき気づいた。

欲の奴隷になるより、欲をコントロールして人生を創り上げる。

そこに満たされた人生があった。