好きなものや人は良くて、嫌いなものや人は悪いと思っている人が多いが、それは誤解だ。
上辺の好みに捉われ、好き嫌いの本質を知らないから、そういう思い違いをしてしまう。
好き嫌いや良い悪いという感覚が湧いてきたら、もっともっとじっくりそれと向き合って、なぜその感覚が湧いてくるのか、どこから湧いてくるのかを見極める行動が必要だ。
くだらない情報より、余程人生を豊かにしてくれる。
好きなものや人は良くて、嫌いなものや人は悪いと思っている人が多いが、それは誤解だ。
上辺の好みに捉われ、好き嫌いの本質を知らないから、そういう思い違いをしてしまう。
好き嫌いや良い悪いという感覚が湧いてきたら、もっともっとじっくりそれと向き合って、なぜその感覚が湧いてくるのか、どこから湧いてくるのかを見極める行動が必要だ。
くだらない情報より、余程人生を豊かにしてくれる。
ちょっとだけ考えるのをやめて、静かに過ごしてみよう。
大好きな飲み物と大好きな音楽で、彩りをつけてみよう。
そこが都会の真ん中であれ、山の中であれ、部屋であれ、目の前には自然と空間がある。
つまらない取り越し苦労をやめて、それを知覚し、喜びを感じること。
さあ、人生を楽しもう。
瞑想は目覚めにもってこい。
静かに座る。
意識と呼吸の世界に没頭する。
それが目覚めだ。
今日もたくさん話を聞いたし、たくさん話もした。
これから美味しいものでも食べて、ゆっくり休もう。
今日の出会った人たちに感謝。
ケガも病気もなければ普通に歩けるので、歩けるありがたみなど感じることはないだろう。
今、歩いていることが奇跡とも誰も思わない。
感じることが無くても、思わなくても、それはありがたいことだし奇跡だ。
それを感じられない生き方は、とてつもなく大切なものを失っている。
いずれ歩けなくその時が来るまで、歩けることの奇跡に感謝し、味わえる幸せを感じて生きていく。
私の感覚では、どんどん時間の進むスピードが上がっている。
今日一日も、あっという間に終わっている。
今日一日があっという間に終わっているということは、人生があっという間に終わるということだ。
できることをやろう。
人に感謝しよう。
自分を生きよう。
穏やかで暖かな晴天の下、歩いているだけで幸せを感じる。
生きていると厳しさと穏やかさを味わうが、それがこういう実感に繋がっていると思うと、日常で起きていることを疎かにできない。
この世に不要なものはない。
この世にあるものは、すべて人間に必要なものだ。
だけど、人はそれを損得や好き嫌いで選り好みをする。
それは、相当狭い世界で生きていることを意味している。
自分を生きると言えば格好はいいが、その自分が何かを知らなければ、ただ好き勝手に生きているだけで、自分を生きようがない。
自分の身に起きていることを素直に受け入れることができなければ、おそらく自分が何者なのかも知ることはないだろう。
できるだけ、一生懸命生きることを意識するようにしている。
そのとき限りの瞬間を大事にして生きているつもりだ。
その生き方が良いか悪いかわからないが、自分にとっては心地よい。
これは性分か天命なのだろう。
それを、、全うして生きていきたい。
過去に3回サイレントリトリートをやっている。
最長9日間、やってみたことがある。
サイレントリトリートを経験して、制限があればあるほど自由を感じたことには驚いた。
声を出してはいけない、人がいる場合は人と目を合わせてはいけない、ネット、お風呂、動物性の食事はNGなど様々な制約がある。
できることは限られる。
息をすること、座ること、食べること、休むこと、寝ることのみ。
最初のうちはいろいろ考えるが、考えても何もできないのでやがて考えなくなる。
生きることがシンプルになり、心が軽くなることで自由を感じる。
このことは、普段の生活もサイレントリトリートもはあまり変わらないことにも気づいた。
結局、本質は一つだった。