信じる信じないの世界は曖昧

信じる信じないの世界は、私にとって曖昧です。

信じる信じないの世界とは「あの人を信じていたけど信じるのを止めた」という世界です。

例えば電車に乗っているとき、電車に乗っていることを信じているという人はいません。

電車に乗っているという事実があるだけで、決して曖昧ではありません。

私にとって、電車に乗っているのも、霊とコミュニケーションをとるのも、身体の中の気を感じるのも同じ事実です。

そういう生き方だとブレずに楽です。

これからも、その瞬間の事実をしっかり受け止めてブレずに楽に生きていきます。

何のために生まれてきたのか

何のために生まれてきたのか。

なぜ生きるのか。

これは答えがない、答えられない問いかもしれない。

少なくとも万人が納得する答えは無いだろう。

私は自分なりに真剣に考え、自分なりの答えはある。

スピリチュアルでは、魂を磨くために生まれてきたと言われている。

何のために魂を磨くのか。

この生の後のために磨くのだろう。

それならば生きるしかない。

身に起きることを受け入れ、磨くしかない。

一生懸命苦しみに磨かれ、幸せに磨かれよう。

これが私なりの答えだ。

自分に無いものは思うことも考えることもできない

自分に無いものは思うことも考えることもできません。

例えば、誰かのことを欲深いなと思ったとします。

それは、自分の中に欲深さがある、その人と同じものがあるという表れになります。

自分に欲深さが無ければ、欲深いという思い、判断ができないわけですね。

人に有ると思ったものは、自分の中に有るということ。

同じなら責めることはできませんね。

人を許すということは自分を許すということです。

あなたは何をしている?

電車に乗っているとき、自分は何をするのか。

人と同じようにスマホを見るのか。

ぼーっとするのか。

寝るのか。

自分の内側に意識を向けるのか。

呼吸に意識を向けるのか。

人がテレビを観ているであろうとき、自分は何をするのか。

歩いているとき、どうするのか。

眠るとき、どうするのか。

人と話すとき、何を意識するのか。

人を見るとき、何を意識するのか。

あなたは何をしている?

瞑想の目的を間違えると達成できない

何のために瞑想をするのか。

この目的を間違えると、何年瞑想をしても目的は達成できないかもしれない。

ちなみに、あなたは何のために瞑想をしますか?

なぜ瞑想をするのか。

静まるのが好きで瞑想をするなら、それはぜひ続けていただきたい。

もし、瞑想をして精神を鍛えようというような目的だとしたら、おそらくそれは達成できないだろう。

ごくまれに、瞑想で精神が強くなった人がいるかもしれないが、ほとんどの人には難しいし、そもそもそうなるまで瞑想を続けられないだろう。

精神を集中させようとする瞑想は無理があるから続かない。

一時間の瞑想が、なかなかできないのもそのためだ。

そこに瞑想が続かない問題がある。

さて、瞑想の目的は何にあるのか、よくよく探求していただきたい。

以前は状況を変えれば苦は無くなると思っていた

気づきを得るまでは、状況を変えれば苦しみから解放されるのだと思い、ずっとそれに取り組んできた。

スピリチュアルに深く関わるようになって、たくさんの人に出会い、少しでも縁ある人々が楽になれるよう、全力で取り組んできた。

でもある日、どれだけ状況が変わっても、次から次へと訪れる苦しみには、キリがないのだと気づきました。

状況を変えようとするやり方は間違いではなかったが、状況を変えずに苦から解放される方がずっと確実だし、ずっとその人のためになると気づきました。

安心や幸せ、平穏は、状況で決まるのではない。

この気づきは、本当に私の人生に大きな影響を与えてくれた。

それからというもの、やっと真のスピリチュアルと出会い、深めることができました。

心の奥底に湧き出ているものとの交流の始まりです。

思わぬことが起きる

人生には思わぬことが起きる。

思いもよらなかったことが起きる。

それは、なぜ起きるのだろうか。

満たされた感覚

内側がある状態になると、満たされた感覚が湧いてくる。

これを幸福感と表現しているが、実際は少し違う。

恍惚感とも少し違うが、とにかく心地良い。

以前はある状態に偶然入れたが、今は意図的に入れる。

入るたびに訪れる満たされた感覚は素晴らしいが、気をつけなければ執着してしまう。

執着したら、満たされた感覚だけで止まってしまう。

私が目指すは、もっともっと先にあるので気をつけている。

静かに座る

静かに座って瞑想をする。

自分の内側で対話が始まるが、その対話は誰と誰がしているのだろうかと、じっくりと観察する。

最初のうちは、誰が誰だか、何が何だかわからない。

自分をとてもちっぽけに感じ、お粗末な感じさえしてくる。

辛抱強く続けていると、やがて霧が晴れクリアな感覚になる。

かき消されていたものがハッキリすると、悦びと幸福感、そして力強さが湧いてくる。

絶対に間違えることのないそれは、完璧な存在なのだと実感する。

物と丁寧に接する

物と接するときは丁寧に接するように心がけている。

物と丁寧に接することができないとき、それは心が荒んでいるときだ。

イライラして物に当たるような生き方はつまらない。

パワーストーンブレスレットやネックレスとも丁寧に接している。

神棚やアルター(祭壇)とも丁寧に接している。

一時が万事。

先日書いた人は食なりもそうだが、一つがすべてに繋がっている。