一生懸命やることが大好き。
振り返ってみると、何事もただ一生懸命やってきただけかもしれない。
一生懸命の人を見ると、自然と心から応援したくなります。
報われないことがあっても、頑なに向かう姿勢は心打たれます。
一途に頑張る。
その姿勢を忘れず生きていきたい。
一生懸命やることが大好き。
振り返ってみると、何事もただ一生懸命やってきただけかもしれない。
一生懸命の人を見ると、自然と心から応援したくなります。
報われないことがあっても、頑なに向かう姿勢は心打たれます。
一途に頑張る。
その姿勢を忘れず生きていきたい。
一日を大きく分けると、三分の一は睡眠、三分の一は仕事、三分の一はプライベート。
一日の三分の一は寝ているので、肩書きも性格も男女もお金の有る無しもどんな家に住んでいるかも何も関係ない。
例えば、小さなアパートに住んでいるのがコンプレックスだとしよう。
寝ている間はどんなところに住んでいようと関係ない。
残り三分のニの半分は働いているから、家は関係ない。
とすると一日の三分の一だけが、コンプレックスの対象となる。
一日の三分の一のことで、人生がどん底のようなコンプレックスを持ってどうする。
視野を広げると、飛行機から地上を見るように、どこの誰の何様でも、大した違いはない。
それならコンプレックスに重きを置くより、もっと別なものに重きを置くことをすすめる。
百万円貯めるためにしかめっ面して生きるのと、貯金は無いけど百万回笑いながら生きるのと、どちらに重きを置くのか。
将来を心配しながら生きるのか、それとも今出来ることを一生懸命やって楽しんで生きるのか。
何にしても、所詮人生の何分の一かだ。
そんな小さなことに捉われても仕方ない。
そういうことを真剣に考えてみるのも面白いかもしれない。
ある人が言っていました。
「変わるものは本物ではない」と。
そして「絶対の本物は人間の知性では理解できない」とも言っていました。
理解できないのだから知る必要もないですが、変わるものは本物ではないということはわかるので、それならこだわったり執着する必要もなく、それだけでもずいぶんと人生が楽になるのはありがたいですね。
信じる信じないの世界は、私にとって曖昧です。
信じる信じないの世界とは「あの人を信じていたけど信じるのを止めた」という世界です。
例えば電車に乗っているとき、電車に乗っていることを信じているという人はいません。
電車に乗っているという事実があるだけで、決して曖昧ではありません。
私にとって、電車に乗っているのも、霊とコミュニケーションをとるのも、身体の中の気を感じるのも同じ事実です。
そういう生き方だとブレずに楽です。
これからも、その瞬間の事実をしっかり受け止めてブレずに楽に生きていきます。
健康でなければ、何もできない。
健康第一。
健康のためにやることできることはたくさんあります。
一に健康、二に健康。
みなさんも身体を大事にしてくださいね。
修行の旅先は雪が降っていて寒かった。
手がかじかんでしまい、思わずスマホを地面に落としてしまいました。
新たな行を始めると、どーんと落とされる心境になりますが、またそこから一歩また一歩と上がっていくしかありません。
ずっとその繰り返しで、結果的に成長していくのでしょう。
スポーツでもなんでも大事なのは基礎、基本。
コツコツやっていきましょう。
密教の曼荼羅に象徴されるように、神秘的な教えは言葉だけでは伝えられないので目に見える形で伝えられています。
頭を使っての理解と、心を使っての理解が必要になります。
古の時代から偏りのない生き方を求められているのがわかりますね。
この数日、意図的に考えるということをしてみましたが、かなり疲れました。
苦行ですね。笑
将来のことをいろいろ考えるだけで、相当なエネルギーを消耗しました。
二日が限界です。笑
これを続けてたら、いろいろな面で人生辛いですね。
朝、眠りから覚めて意識が戻った後、何を思うかがその人の調子を表しています。
「今日はどういう経験ができるか楽しみだ」
「今日も仕事か、行きたくないな」
こんな風に調子が表れます。
自分の波長がわかり、それが望まないものであれば変えていく工夫をしていきましょう。
霊界とコミュニケーションをとる寸前に、パーッと悦びに近い感覚が湧いてくることがあり、そのときこれが自分の生きる道なんだなと実感します。
もし何かするとき、そういう感覚が湧いてくることがあれば、もしかしたらそれがあなたの生きる道なのかもしれません。