本当のカンはハズレない。
本当のカンは当たった、ハズレたというようなものではないからだ。
天、霊などとの直結のカンは、当たったハズレたで判断できるようなものはこない。
例えば、瞑想中に今まで見たこともないようなまばゆい光を見たとしよう。
これに関して、当たったハズレたと言えるだろうか。
直結のカンはこういうものだ。
本当のカンはハズレない。
本当のカンは当たった、ハズレたというようなものではないからだ。
天、霊などとの直結のカンは、当たったハズレたで判断できるようなものはこない。
例えば、瞑想中に今まで見たこともないようなまばゆい光を見たとしよう。
これに関して、当たったハズレたと言えるだろうか。
直結のカンはこういうものだ。
余計なものを削ぎ落としていくと、最終的に本当の意味で必要なものだけが残る。
これは肉体にも心にも精神にも言えることで、まさしく真理。
人には、いつでも二つの道があり、そのうちの一つを選んで歩んでいく。
やるか、やらないか。
忙しく生きるか、ゆったり生きるか。
今を生きるか、過去や未来を生きるか。
どの道を選ぶかは自分だ。
常に選択していることを忘れないこと。
余計なことにとらわれず、シンプルでいい。
スピリチュアルにおいて、「焦らず、慌てず、丁寧に、ゆっくりと」は、本当に大事なこと。
早く霊能力を出したい、早く瞑想が深くできるようになりたい。
誰もが思うことかもしれないが、それで早く進むことはない。
霊感でも瞑想でも、焦らずに、慌てずに、丁寧に、ゆっくりとやっていくこと。
合理的もへったくれもない。
ただ、コツコツとやるだけだ。
焦っている覚者がいるのか。
慌てている指導霊がいるのか。
雑で急いでいる達人がいるのか。
自分がどんな人物になりたいのか、しっかりと意識していただきたい。
水急不月流はみずきゅうにしてつきをながさずと読む。
禅の言葉だ。
いかに水の流れが急であっても、水面に映る月影をながすことはできない、という意味。
水の流れは世間でおきていること。
月影は己の心を表している。
いくら周りで波風が立とうと、本来の自己は不動であることを言っている。
幸せとは何だろうか。
考えることでもないだろうが、ふと思った。
欲望が満たされることか。
欲望はきりがないし完全に満たされることは無いから、違う感じがする。
不安や心配がないことか。
それはそうかもしれないが、不安や心配は想像の産物なのでなんかしっくりこない。
健康であることか。
それはそうだ。
でも、健康な人がみんな幸せを感じているかというとそうでもない。
さて、幸せとは・・・
自分の身に起こったことは起きたことなので、まずは受け入れるようにしている。
良い事、悪い事など判断するとありのまま受け入れることができないので、それはできる限り排除する。
必要があれば、受け入れた後になぜそれが起きたのかを考える。
自分の身に起きたことは、すべて自分が関わって起きている。
それは真理で、それならば、まずは丸ごと受け入れてみることにした。
そうしたら、自分のことなので自分でどうにでもできることがわかり、すべてが腑に落ちた。
恐怖心や不安がある人は、消せることができるだろう。
やることはシンプルだ。
ただ、目の前で起きていることを、そのまま受け入れるだけだ。
マスクをしていると身体の酸素の量が減るので、結構苦しい。
マスクをして、早歩きしている人を見ると、よく平気だなと思ってしまう。
私はカウンセリングで話をしているだけで、呼吸が苦しい。
どうやら世の中には呼吸が楽なマスクがあるらしい。
探してみようかな。