白昼夢

白昼夢(はくちゅうむ)を調べると、日中、目覚めている状態で、現実で起きているかのような空想や想像を夢のように映像として見る非現実的な体験、または、そのような非現実的な幻想にふけっている状態を表す言葉。願望を空想する例が多い、と書いてある。

みなさん、心当たりは?

多くの人が、行動しているのに空想や思考を意識している。

現実で起きているかのような空想、そして、その空想は願望の場合が多いという。

恐ろしいのは、不安や恐怖は想像や空想から生まれるが、それは不安や恐怖を求める願望ということになる。

知らない間に不安や恐怖を求めているって、それこそ怖い。

あなたが拒否しようとも、それが現実であり、事実だ。

自分を殺す

自分の好きなように生きる

自分のやりたいようにやる

自分のカンに任せる

このような生き方、考え方があります。

これはこれで素晴らしい経験ができますが、それだけだと自分の好みだけになり、相当狭い生き方、考え方になります。

ときに自分を殺し、天、霊、深い意識に基準を合わせる。

自分がどう考えて、どう判断するかではなく、大いなるものに任せる。

これは味噌や醤油、日本酒造りにも共通している。

麹や菌に任せる。

自分たちは環境を作るだけで、造っているのではない。

どこまで行っても味噌や醤油を造るのは麹や菌だ。

自分たちの人生は自分が作っていると思い込んでいるが、そうではない。

自分勝手に判断するのではなく、自分を殺し、大いなるものに身を委ねてみようではないか。

丁寧に

何をやるにも丁寧さを心がけている。

一生懸命やるより、丁寧に。

一生懸命歯を磨くより、丁寧に磨く。

一生懸命歩くより、丁寧に歩く。

一生懸命話すより、丁寧に話す。

一生懸命視るより、丁寧に視る。

一生懸命聞くより、丁寧に聞く。

一生懸命味わうより、丁寧に味わう。

一生懸命向き合うより、丁寧に向き合う。

一生懸命運転するより、丁寧に運転する。

一生懸命読むより、丁寧に読む。

速くやるより丁寧に。

一生懸命やるより丁寧に。

いろいろな人がいる

この世にはいろいろな人がいるのが常だけど、それにしてもいろいろな人がいる。

自分のことしか考えられない人もいて、当たり前にように人に迷惑をかける。

自分のエゴを満たすの言動しかできない。

どの界隈にもいるが、人の名前を利用して自分が得をするようなことしかできないのも本当に哀れだ。

有名な人を「あの人は偽物」とか「あの人はダメ」とか言って評判を落とし、さも自分の方が上で正しいと見せ、人を引っ張り込むような姑息な手段を使う輩もいる。

私の程度でも、そういうことがある。

世の中、本当にいろいろな人がいる。

2021年4月14日 | カテゴリー : 独り言 | 投稿者 : taka

意志

始まりの元は意志。

意志がすべてを作っている。

意志と言っても、思うという程度のものではない。

もっと純粋で深く根付いている意志だ。

それを体験した。

静かに座る

静かに座る。

そういう時間が、とても大切。

別に瞑想じゃなくても、ただ静かに座る。

自然と呼吸がゆっくりになり、鼓動もゆっくりになる。

何にも捉われない自由な感覚。

その心地良さが人生には必要だ。

2021年4月11日 | カテゴリー : 独り言 | 投稿者 : taka

出来る出来ないは頭で決めるものではない

出来ること、出来ないことはあるが、それは考えて決めることではない。

頭で決めたことは、出来ないと思う、出来うると思うであって、出来る出来ないではない。

行動して、初めてわかること。

カウンセリングをしていても、メッセージやアドバイスを伝えて、すぐに「それはできない」という人がいるが、やってもいないのになぜそう言い切れるのか。

考え癖で安易に判断して思い込んでいるだけ。

それなら聞くなと言いたい。

お互いの時間やエネルギーの無駄。

まずは、やってみて、その後のことはそれからで十分に間に合う。

2021年4月6日 | カテゴリー : 独り言 | 投稿者 : taka

粗探しの何が楽しいのか

どこにでもいるのが、この粗探しをする人。

粗探しの何が楽しいのか、まったくわからない。

自分の波長を下げるだけなのに、そういうことにも気が付かないのか。

どの分野にも必ずいる。

スピリチュアル界隈にもいるのには、驚くばかり。

名ばかりのスピリチュアルなど、何の意味もない。

自分に自信がないから粗を探すのだろうが、そういう人は一生抜け出せないだろう。

2021年4月3日 | カテゴリー : 独り言 | 投稿者 : taka

心地良く

人生を振り返ってみると、自分が心地良くいるために、いろいろと一生懸命やっていた気がする。

そのときは、心地良くいるためには必死にやることが必要だと思っていたのだろう。

今でも心地良くいたいが、だからといって一生懸命やることはもう無い。

ただやることで心地よさが湧いてくることを知ったからだ。

何かを得るために何かをやるのではなく、ただやる。

そんなことを知れたのが、結構嬉しい。

2021年4月1日 | カテゴリー : 独り言 | 投稿者 : taka